中芸みんなの日本遺産〜「サブストーリー」コレクション〜

「日本もガスの時代が来るぞ」

 

(みなみ) 宗一(そういち)さん

 


◆ ご紹介 ◆

南さんは、昭和14年(1939年)生まれの76歳(インタビュー当時)。安田町(やすだちょう)・燃料店の息子として生まれた。幼少期には、家業の手伝いで木炭を運ぶ仕事もしていたという。昭和33年(1958年)、高校卒業とともに大阪へ出稼ぎに行き、2~3年後に安田町へ戻り燃料店を継がれた。この時代は、「燃料革命」と呼ばれる家庭用燃料が木炭からプロパンガスに変わった一大変革期であった。その変化をいち早く感じたのが燃料店を営む南さんであった。

 

聞き取り 平成29年(2017年)4月


安田から大阪へ炭を運ぶ

 昭和30年代前半まで、燃料と言えば、「木炭」であった。どのようにして、この地域で生産された木炭が大阪へと運ばれていったのだろうか。その仕事を担っていたのが、南さんである。
「山を買って(筆者注釈:炭焼きの権利を買って)、炭焼きに前金を渡して炭を焼かせてた。焼いた炭は、菜虫さんにトロ(注1)で運んでもらって。

運ばれる炭俵
運ばれる炭俵

 船で出すゆうたら、今は「輝るぽーと安田」があるでしょ。当時はずーと浜が長くて、馬に8俵付けて海岸淵で降ろして、そこで小舟に乗せ替えて沖にとまった本船まで運ぶわけ。まー、労力がいったもんや。本船は大阪の木津川へ」運ばれたという。

馬による木炭の船積み(写真は田野貯木場、昭和18年(1943年) 出典:高知営林局(1973)『製品生産の変遷』製炭
馬による木炭の船積み(写真は田野貯木場、昭和18年(1943年) 出典:高知営林局(1973)『製品生産の変遷』製炭

 学校を休んで、何度か本船に乗って大阪へも行ったという。当時は木炭がかなり売れた。

 炭焼きは技術が必要だ。炭焼きが上手い人と下手な人をどのように見分けるのだろうか。「そりゃあるね。検査する人は、木札の生産者の名前を見たらだいたいわかる。検査員は、炭俵を揺らして検査するわけ。良い炭は「リンリン」て金属のような音がするでしょ」。生産された炭も、品質によって買い取る値段が違ったようだ。

「日本もガスの時代が来るぞ」

「大阪の叔父がアメリカでプロパン(著者注釈:プロパンガス)が流行っとる言うて。ガスの時代が来るぞ、日本もゆうて」。その叔父の紹介で和歌山県の「東亜燃料」と取引するようになったという。「高知県で(筆者注釈:プロパンガスを売り始めたのは)4番目。うちは早かった。昭和20何年だったと思う。とにかく一升瓶でプロパンを売った。それが始まりよ。大阪から高知に戻る積み荷でガスを運んだ」。

 高知ではどのようにプロパンガスが普及したのだろうか。「だんだん変わっていった。変わりが早かったね。時代よね。家庭でも台所の改善が進んで、セメントの流しが、タイルになって、ステンレスになって」。「このあたりでは(筆者注釈:プロパンガスを使う人は)少なかったね。でも、できるだけ使わさないかんけん。当時は実演販売よ。丸いコンロをリヤカーに積んでね。こりゃー早いのーゆうて」。「三輪の軽四を買ってね。あれがが嬉しくて、嬉しくてね。そんな時代があったね(笑い)」。「学校が済んでから(筆者注釈:昭和33年(1958年)以降)、ガスがずーっと伸びて(筆者注釈:普及して)いった気がするね」。

 プロパンガスをその頃、導入するのはどのような家だったのか。「当時、高かったと思うね。やっぱり一般の家庭だけど、忙しそうな人に目を付けて(笑)。共働きの家とかね。とにかく便利やから。馬路村(うまじむら)にプロパンが導入されたのは遅かったね」。「薪からはじまって、炭になってガスになって。いまでは電気に変わってきた。時代やね」。

賑やかな時代

 安田町で燃料販売をしていた南さんは、町の変化にも敏感だったようだ。安田町に生まれ育った南さんにとっていつが賑やかな時代だったのだろうか。「昭和30年頃、神祭があったろう。どこでもおきゃく(注2)しとったろう。ああゆうのが、良い時代じゃね」。「当時は呉服店が2つあったきね。なかなか売れよったみたいだけどね」。「若者が楽しむ映画館もパチンコもあったね。まー、そんなとこやね。たいした町では無いけんどね。田舎やき。唯一楽しみだったのは、二十七番札所の神峯寺(こうのみねじ)で若い衆がとる相撲だね」。

 

 

注1▷「トロ」とは線路に乗せた滑車付の台車である。

注2冠婚葬祭や神事、節句などに親類や友人、近所の方などを招待する宴会のこと。

 


インタビューを終えて


江戸時代から昭和30年代まで、高知県の中山間地域の暮らしを支えた製炭業。多くの人々が山で木炭を焼いて暮らしていた。その後、プロパンガスの急速な普及により製炭業は衰退していった。今では当たり前に利用しているプロパンガスを地域に普及させたのが南さんだった。南さんの語りは教科書に載らない歴史の一つのように感じた。

 

【構成/赤池慎吾】