中芸みんなの日本遺産〜「サブストーリー」コレクション〜

遠足は森林鉄道に乗って海へ

天野あまの 磨利子まりこさん


◆ ご紹介 ◆

天野さんは、昭和20年(1945年)生まれの73歳(インタビュー当時)。北川村小島(きたがわむらこしま)地区で生まれ、奈半利川(なはりがわ)に架かる小島橋(こしまばし)を歩いて地元の小島小学校・中学校に通われていました。学校の遠足は、森林鉄道に揺られて奈半利町へ。初めて見た海の思い出を語っていただきました

 

聞き取り 平成30年(2018年)5月


森林鉄道に乗って遠足へ

 天野さんのご両親はそろって炭焼きの仕事に従事されていました。「若い頃は営林署に行っていたらしいですが、それでは女房と子供を養えない言うことでね」。いつも炭焼きで忙しかった父親との思い出は、奈半利川で一緒に過ごした時間です。「夏だったら一緒に泳ぎにいったり、父の鮎を採りについて行って一緒に泳いだりとかね。はえ縄でうなぎを取るの。父がするのについて行って、朝夕ですね。あげるときも仕掛けるときも一緒について行ってね」。

 

「今は森林鉄道と言っているのを、私たちは「ガソ」って言ってましたね。だけど、材木を運ぶのはガソと言わなくて、汽車ですね」と客車が付いている森林鉄道と呼び分けをされていたようです。

 

 家の前を森林鉄道が走っていましたが、「ガソ」に乗るのは特別なイベントだったようです。「春と秋の学校の遠足のときとかね。海が珍しいから、浜へ来ていたんですね。今思うとおかしいですけどね。リュック背負って、お弁当もって、浜へね。加領郷の手前の畳岩(たたみいわ)のある小須川って所ね。海に来て貝採りをするの」。

森林鉄道に乗る子供達 所蔵:北川村小島集会所
森林鉄道に乗る子供達 所蔵:北川村小島集会所

 小学校一年生の遠足で「ガソ」に乗って初めての海へ。「遠足に行くまでは海は知りませんでした。テレビも無い時代ですからね。海を画像で見たことも無い。はじめて海を見て、なんか怖いなという思いをしたことを覚えてます。波が引いたりよせたりね」。当時、子供だった天野さんにとって、森林鉄道に乗ることは特別なことだったようです。「今で言えばタクシーに乗るっていう感じね」。

 

お買い物は奈半利町へ

 小島で揃えられないお買い物は家族そろって奈半利町まで出かけます。「何か買ってもらいたいときは、ガソで奈半利まで来ましたね。野友(のとも)(筆者注釈:現在の北川村役場周辺)にもお店はありましたが、奈半利まで行きましたね。奈半利の町では、長くいたいとは思いませんでしたね。終わったらすぐ帰りたいという気持ちだったんじゃないですかね」。

 

「今度遠足の時に新しい服や靴が欲しいとかいうときね。父も母も兄弟も一緒にね。年に4から5回来ればいい方かな。駄菓子屋さんは小島にあったからね。ちょうど平鍋ダムができるときだったので、土木作業の方がたくさんいて、飯場(はんば)もあったんで。昔、映画館とかパチンコ屋さんもあった時代があるんですよ」。

 

線路の上を歩くのが上手でした

 通学路は森林鉄道の線路を歩いて通いました。「今、北川村温泉のある川向こうに住んでいてね。家の前が線路ですので。家の門を出ると線路でしたので、線路をつたってね。線路の上を歩くのが上手でした(笑)。当時は「鉄橋」(てっきょう)(著者注釈:小島橋)に子供の足がやっとの狭い板が張ってあってね。その上を歩いて渡ってね。みんな、その上を行ってましたね」。「電灯も何も無かったからね。暗くなる前に、学校が終わったらすぐに家に帰ったのよ」。

天野さんが歩いて渡った小島橋 所蔵:北川村小島集会所
天野さんが歩いて渡った小島橋 所蔵:北川村小島集会所

 当時の景観は今とはだいぶ違ったようです。「今、ゆずが植わっているところは、だいたい畑とか田んぼでしたね。お芋とかだった気がします」。北川村の特産であるゆずが栽培されはじめたのは、これよりもう少し後だったようです。

 

 

 


インタビューを終えて


車社会の今。天野さんのお生まれになった北川村小島と奈半利町はとても近く感じられます。しかし、小学生時代の天野さんにとって、奈半利町までの道のりは遠足や買い物、病院といった大イベントだったのですね。森林鉄道に揺られ、初めて見た奈半利町の海はきっと特別に映ったのでしょう。

 

【構成/赤池慎吾】