梼原町ライフヒストリー集

梼原の景観に刻まれた
戦前の記憶

 

西村(にしむら) 岩子(いわこ)さん

 


■ ご紹介 ■


西村岩子さんは、昭和7年(1932年)生まれの89歳(インタビュー当時)。梼原町上成長谷(うわなろながたに)に生まれ、現在は四万川区六丁にお住まいです。米寿のお祝いが飾られたご自宅で、お話を伺いました。インタビューでは、子供時代の記憶をとてもテンポ良くお話しいただきました。岩子さんには、今でも梼原の山中にぽつりぽつりと存在し、誰もがひと目見るとわかる木の活用方法がしっかりと記憶に残っていました。私たちは岩子さんの話す「アレ」の記憶を探す旅に出かけました。


聞き取り 令和3年(2021年)10月

 


主は「金飯」(きんめし)

 父・芝吉太郎(しばきちたろう)さんは、梼原でも腕利きの大工でした。しかし大工仕事だけでは暮らしていくのは厳しく、母・のぶえさんと田んぼ2反、畑でキビ・麦・野菜を作って食べ盛りの6人兄弟を養いました。「昔は貧乏を皆したもんだ。今頃のように米も食べれんけん。「金飯」を食べて……」。聞き慣れない「金飯」という言葉に、思わず「どんなご馳走ですか?」と伺うと、「ハハハ。キビのご飯。キビを臼で挽いて粉にして。お米はちーーっと入れて。その時分は米も足るば食べるほどよー作らんだったもん」と笑います。米がほとんど入っておらず、キビで黄金色に輝く様を豪華な言い回しで「金飯」と呼んでいました。この「金飯」という言葉は、戦前・戦中を梼原で生きた方々が共有する地域の記憶の一つです。

軒先に架けられたキビ(梼原町)
軒先に架けられたキビ(梼原町)

 昭和13年(1938年)4月、岩子さんは上成尋常小学校に入学します。同級生は8人でした。かくれんぼや縄跳びをして遊んだとか。春になると、子供達は塩を下げて道端にしゃがみこんだと言います。「今頃の子供はズイコキを知らん顔しよるけんど。道端に生えてるズイコキ。塩を下げて、ちょいちょい食べたりしよった。塩も黙ってとってね」と、話す岩子さん。ズイコキとは、一般に「スイバ(酸い葉)」と呼ばれるタデ科の多年草で、田畑や道端によく見られる雑草の一つです。伸び始めの若い茎に、台所からこっそり持ち出した塩をつけて食べたそうです。子供時代の懐かしい味である噛むと酸っぱいズイコキの味がよみがえります。

「シュロ(棕櫚)の皮で塩を買えばいい」

岩子さんの通った上成尋常小学校の裏山に生えるシュロ(赤い矢印)
岩子さんの通った上成尋常小学校の裏山に生えるシュロ(赤い矢印)

 

 岩子さんが黙って台所から持ち出した塩。この言葉が記憶の蓋を開けたかのように「当時、シュロの皮で塩を買えばいい、言いよったね」と口を衝いて出ました。シュロは、縄や箒、外套などに用いられるヤシ科の樹木です。「アレの皮が売れてね。あの時分は。おせのひと(大人)が皮を刃物で切って、剥ぐ」。岩子さんは当時の様子を身振り手振りで話しました。それを販売して収入を得ていたと言います。岩子さんが学校に通っていた頃までは、近所でシュロを剥ぐ光景を見ることができたようです。「シュロの皮で塩を買えばいい」と話していた両親の会話が記憶の奥底に残っていました。

 

今では皮を剥がれることがなくなったシュロ
今では皮を剥がれることがなくなったシュロ

インタビューを終えて


約一時間にわたりインタビューさせていただきました。当時を思い出し、「ふふふ」といたずらっぽく笑う岩子さんの笑顔が印象的でした。梼原の山中にぽつりぽつりと見かけるシュロ。戦前の梼原の暮らしを今に伝える物語を教えてくれました。


【構成/赤池慎吾】