中芸みんなの日本遺産〜「サブストーリー」コレクション〜

走って追いかけた森林鉄道

 

橋本はしもと 雄幸おさじさん


◆ ご紹介 ◆

橋本さんは、昭和6年(1931年)生まれの86歳(インタビュー当時)。馬路村(うまじむら)に生まれ、薪づくりや農作業を手伝い、森林鉄道を走って見に行くような子供だったそうです。幼少期には今とは違う風景が広がっていたと言います。退職後は、馬路村の歴史と文化を伝える馬路村郷土館の館長を務められていました。

 

聞き取り 平成30年(2018年)6月


「日曜日は御薬師(おやくし)さんの掃除でしたね」

 ご両親は馬路村で農業をして生計を立てていました。時折、伐採の仕事もしていたようです。「父はたまに杣(そま)仕事をしててね。大杣(おおぞま)(注1)では無くてね、これくらいの(筆者注釈:両手で抱えられるくらいの木)伐採はしていて、それを手伝いに行ってね。当時は薪の生活なので、しょっちゅう焚き物(たきもの)をつくりましたね。風呂用は長くて、竈(かまど)用はもっと割っていたね。囲炉裏用はその真ん中くらい。囲炉裏で使うのは、スギやヒノキでは無くて、炊いてもはじけん樫の木を使うてたね」。

 

 今では見渡す限り杉が植林された山々が広がる馬路村ですが、当時の景色は今と違っていたそうです。「私の子供時代には、影(かげ)地区というところが柴刈り山でね。柴刈り山は、毎年春に焼いてね(筆者注釈:定期的に火入れをして、灌木が育たないように管理していた)。刈った柴は、牛に喰わしたり、畑に入れたりね(筆者注釈:刈り取った若葉や枯れ草を畑にすき込み肥料とした)」。

 

 橋本さんが入学したのは馬路村国民学校初等科です。当時の男子はどんな生活をしていたのでしょうか。「日曜日は、雨が降らんかぎりは御薬師さん(筆者注釈:金林寺薬師堂)というところに掃除に行ってね。掃除が済んだあとに、昼頃まで遊びましたね。戦争ごっこや三角ベースや陣取りなんかをしたね」。「あと木馬(きんま)ごっこ言うてね。上級生や親に手伝ってもらって小さい木馬(筆者注釈:木材を搬出するための木製のそり)をつくってね。子供達が山で引っ張ったりして遊びましたよ」。林業の村、馬路村ならではの遊びもあったようです。

 

機関車が来たら走って見に行った子供時代

 当時の馬路村の交通機関と言えば森林鉄道でした。「私が子供の時に覚えちゅうのは蒸気車とガソリン機関車。それから戦時中は木炭車だったね。蒸気車はワルシャード(注2)いうやつですね」。一度だけ蒸気車の運転席に乗せてもらったことがあるそうです。「もー、びっくりしたね。窯をくべる人がいてね。走るときに蒸気がワーッと出るところとかね。それと石炭の窯の掃除をするときに火がものすごい出ます。そういう所を観察に行きましたね。機関車が来たら走って行って見よったね。終戦後は機関車がディーゼルになったね」。蒸気車に乗った貴重なお話を語っていただきました。

 

 当時、馬路村を走っていた森林鉄道ですが、乗車するのは特別なときだったようです。「普段は木材を引っ張る一番後ろに客車をつけてね。それに乗っておりましたね。それから遠足にね。安田の浜、それから奈半利(なはり)の加領郷(かりょうごう)の浜に行くときはね、これに4mの材木を敷いて、むしろを敷いて子供が乗れるようにしていてね」。「好きな人は釣り竿を持って行ったり、貝を捕ったりしたね。楽しかったね」。目を閉じながら「一年生の時に、小原先生という女の先生と皆で手を繋いで、波打ち際で波と遊んだことが目に浮かぶね」と、嬉しそうにお話になりました。

この上に材木とむしろを敷いて乗っていた 所蔵:馬路村郷土館
この上に材木とむしろを敷いて乗っていた 所蔵:馬路村郷土館

馬路村郷土館の鋸(のこ)

 馬路村郷土館に入ってすぐに展示されているのが、大きな杉の丸太に吊された一本の鋸です。説明書きには「杉直径170cmを刃渡り105cmの鋸を使い約2時間で伐倒(1956年・昭和31年)」とあります。平成元年(1989年)から平成14年(2002年)まで館長をされていた橋本さんに、その由来をお聞きしました。

 

「これは明治生まれの私の叔父から聞いた話でね。何代にもわたって受け継がれてきた鋸なの。馬路村では土佐鋸(注3)が多く使われていたけど、これは会津鋸(注4)。叔父に目立て(筆者注釈:鋸の刃を良く伐れるように研ぐこと)をお願いして、それを展示しました」。杣の命とも呼べる鋸は、代々受け継がれてきた物だったようです。

展示されている鋸 所蔵:馬路村郷土館
展示されている鋸 所蔵:馬路村郷土館

注1▷国有林の大木を伐採する人たちを大杣と呼称していた。

注2アメリカ製の蒸気車。当地では大正12年に導入。

注3肉厚の重量品、磨きをせず鋸刃の部分のみ焼き入れされた。主に高知県土佐山田の片地で生産された。

注4肉薄で鋸身の全部を焼き入れし、全面を磨き仕上げされた。山形県真室川町で生産された。

 


インタビューを終えて


馬路村郷土館にお邪魔して、展示されている写真などをみながら、子供の頃の思い出などを語って頂きました。「そうそう、この機関車に乗ったよ」など、その様子は今と昔を繋ぐガイドさんのようでした。遠足で行った海での思い出をとても生き生きと語られたのが印象的でした。

 

【構成/赤池慎吾】